散歩から帰りドアを開けた瞬間、彼は凛とした姿でそこに佇んていた。
頭から生えた2本の触覚を器用に動かしながら、彼は私に語りかける。
「我は其方と変わりなき生きとし生けるもの。
其方が住む関東平野には何千万戸の住宅が建ち並んでいる。
ところによっては光が丘のような巨大マンション群も存在する。
そこでは一人一人がそれぞれに、それぞれの人生を暮らしている。
其方はたった一人かもしれないが、其方の知らないところで何億、何十億人の人間がそれぞれの人生を歩んでいるのだ。
人間だけでない。
鳥は鳴き、木は風に揺れ、蚊は人間の血を吸う。
其方はあらゆる生命の内の一つにすぎないのだ。
雨に壊れたベンチ
マラソン人
マラソン人に踏み潰される銀杏
その近くで汗だくで拾い集めるのは銀杏人
決して報われることのない筋トレ人
安い居酒屋で「ブスは性格が悪い」と語るブス
限りある命の中で、数えきれない命が必死に生きているのである。
其方もその内の一人であり、空っぽの頭を使って、恥ずかしげもなく詰まらない文章をさも自慢げに書・・・」
くどくいやらしい説法をする最中、私はゴキブリにスプレーを吹きかける。
逃げ惑うゴキブリ。
狂ったように噴射する私。
仰向けで悶え苦しむゴキブリ。
悦に浸る私。
これもまた生なのであろう。